ASIA Urban Design & Development
建築という仕事について
そこに、何が必要なのか。
そこにあるべき姿(建築物)を求めて答えを探す旅のようなもの。
それが建築という仕事なのだとしたら、僕はまだ旅をはじめたばかりです。

PERU(ペルー)
マチュピチュに行ってきた。
テレビでそれを見ている限り、そこはアンデスの中でもかなりの高地で高山病を覚悟しないと…などと想像していたのだが、前日に宿泊したクスコの街の方が高い場所(標高約3300m)にあって、マチュピチュ(標高約2500m)は高山病の心配はほとんどないらしい。しかも、すぐそばにある入口(入場料要)までバスで来られるから、登山の必要もない。ずいぶんと拍子抜けする話なのだが、観光地化した場所なんて、大抵はそんなものなのだろう。それでも、そこにしかない景色がある。写真やビデオはその一部分を単に切り取っただけで、それを振り返って見てそこにあった景色を思い出せるのは、実際にそこにいた人間だけだ。旅を、遊びとしか考えられない連中は、生涯その景色の中にある真実の姿、その存在意義や存在理由について、絶対に、知り得ることはない。
この景色は、ここにしかない景色なのだから。

NEW YORK CITY(ニューヨーク)
ニューヨークと言ってこの写真をアップしたところで気が付く人は稀だと思うけれど、ここがグランドゼロの地下施設から見上げた屋根部分。今は新しい高層ビルも建って、展望台もあるから観光施設になっている。自由の女神も見えるんだけど、側面が米粒大で見える程度かな。30年近く前、WTCにも来てみた人間としては感慨深いものがある。
ダウンタウンは相変わらず多種多様な人種が溢れているのだけれど、マンハッタン島内でトラックなどの貨物車を見ることはほとんどない。日本では、軽自動車から大型バスやトラックまで、みんなが我が物顔で道路を占拠しているけれど、いい加減、本当の都市計画といったものを考えるべきじゃないだろうか?
都市計画をハードウェアの側面からしか見ていない人達には、永遠に解決できない問題なのだろうけれど、土木や建物よりも、もっと大切なことがあるだろ?と、この街が語りかけているような気がした。
そう、建物を建てることだけが私に出来る仕事ではない。

PARIS(パリ)
これはモンマルトルの丘から街を望んだ景色。
パリの地下鉄に乗ったことのある人ならわかると思うのだけれど、駅の通路がかなり複雑に入り組んでいる。地下施設が防空壕になっていたかららしいのだが、地上に出てくると全く方向がわからなくなっている。碁盤の目状に道路が整備されている京都や大阪にいると、方角で自分の位置関係が理解できれば、たいていの場所で困ることはないのだが。
それにしてもパリは空が広い。この街は京都と同じように高層ビルがなく、古い建物が隣同士くっつきあいながら存在していて、昔の景色をそのまま残しているのだろう。観光客にはそれがいいのだろうが、はっきり言って、道は汚いし下水の匂いは臭いし、保存に固執するとインフラ整備が進まない負の側面が目に付くのかも知れないね。

KYOTO(京都)
法を遵守する限り、こんな路地は無くなっていく。
美しいか美しくないかは人それぞれの価値観に委ねられているものだから、誰かに押しつけられるのなんてまっぴらゴメンだが、この景色を作った連中はこれを美しいからという理由で作っているわけではない。ただの生活道路だ。
スクラップアンドビルドを否定はしない。けれども、これを壊して新しいものを作るのなら、いつか、いつの日か、多くの人が美しいといってくれるような、こんな景色を作るべきだ。